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まだまだアメリカかぶれは続きますぞ。
今回は、日本伝道についてです。
今回も引用させて頂きますね。
にほんでんどう 日本伝道
日本にプロテスタントのキリスト教を伝道したのは、
アメリカのプロテスタント諸教派である。
日米修好通商条約調印(1858)の翌年には、
開国後最初の宣教師として
C.M.ウィリアムズ、J.C.ヘボン、S.R.ブラウンら6名が
長崎や神奈川に来航した。
アメリカの教会にとって、
日本伝道はその30年前に始まっていた中国伝道に次ぐ念願の事業であった。
アメリカでは1810年に最初の外国伝道団体として
超教派的なアメリカン・ボードが創立され、
その後各教派に外国伝道局(ミッション)が設けられた。
新大陸のみならず全世界に伝道することが
アメリカの<明白な運命>であるという選民意識とも結びついた布教活動は、
開国間もない日本各地に教会と学校(ミッション・スクール)を設立した。
宣教師とともに教師として来日した
L.L.ジェーンズやW.S.クラークらの影響で、
学生たちは熊本バンド、横浜バンド、札幌バンドと呼ばれる信者同志グループをつくり、
その中から海老名弾正、植村正久、内村鑑三らの
日本プロテスタントの指導者が輩出したのである。
こう書かれてありました。
「ヘボンって誰よ・・・?」
こう思われた方も多いことでしょう。
ついでにこのヘボンのことも知っておきましょうね。 ^^
ヘボン James Curtis Hepburn 1815-1911
宣教医。
ヘプバーンが通常の英語読み。
漢名は平文。
ペンシルベニア州出身。
プリンストン大学、ペンシルベニア大学卒業後医師となる。
アジア伝道を志し、
一時厦門(アモイ)で働く。
1859年北長老派ミッションの派遣で来日し、
神奈川、横浜で開業し、誠実な人柄と優秀な治療で好評を受ける。
かたわら<和英語林集成>(1867)を刊行、
これに用いたローマ字はのちにヘボン式ローマ字として普及した。
また、中国宣教師マッカーティーの<真理易知>にふりがなを付し、
伝道文書として刊行(1867)。
彼の施療所は初期の横浜伝道の拠点で、
横浜第一長老公会も74年ここに設立された。
新約聖書共同訳委員(1874-80)、
旧約聖書共同訳委員長(1882-87)ともなり、
聖書翻訳を完成。
夫人が始めたヘボン塾は明治学院やフェリス女学院の前身的存在であり、
彼は明治学院初代総理(1889-91)を務めた。
92年帰国、ニュージャージー州で死去。
こういうことだそうです。
今回の記事もまあ話のネタにでも。 ^^
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