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さて、今回の記事は前回の記事の続きです。
まだ、前回までの記事をご覧になられていらっしゃらない方は、
折角の機会ですので、ぜひ、ご覧になられて下さいね。 ^^
なるほどこれは自分が悪かった、
と反省することは難しいことである。
ことに外人と交際すると、
日本人にこの反省の習慣のはなはだ少ないことが思われる。
自分が悪かった場合にさえも、
「自分が悪かった、許してくれ」
とはめったに言わぬ。
必ず何かと小理屈をつけて、弁解する悪癖がある。
欧米人・・・聖人君子ならずとも、
紳士とも称せらるる資格を有する者・・・
はご免下さいとか、失礼とかいうことを、
心の真底から潔く言うことが稀ではない。
もとより日本人とてもこれらの言を口にするが、
それは多く無意味に出る言葉で、
己が悪かったということが、
心の奥底から湧き出ることははなはだ少ない。
懺悔すなわち反省の結果、
自分の過ちを自白することは、
非常に自分の心を潤し、また相手の心を和らげるものである。
しかるに、日本にはこの習慣がはなはだ少ない。
ある中等程度の学校に従事していた熱心な教育家が、
その生徒と交わり、
自白状を書かせたことがある。
書かさせられた生徒はそのために著しくこの心地を変じ、
晴天白日のごときものになったということである。
懺悔はかくのごとき大なる力を有する。
されば、天主教には「コンフェッション」という式があって、
犯した罪があれば、一週間に1日ぐらい、
これを僧侶に白状させておる。
僕は世人に向かい、
そのままにこれを遵奉したらよかろうとは言わぬ。
また、僧侶に懺悔する必要があるか否かも疑われるが、
しかし、自己の欠点を認め、己が悪かったという考えを起こし、
これを相手に発表することは善事であると思う。
こう書いてあります。
こう新渡戸稲造が書いているのですが、
今現在の日本人でも同じことが言えますよね。
以前の記事にも何度か書いた記憶があるのですが、
徒なまでに、無謬性を保ちたがる傾向がどこにでもあると思いますね。
企業でも、役所でも、普通の人間関係でも・・・
以前にもこの例で説明しましたが、
イチローでも10回のうちに4回も
自分の思ったところに打ち返せないのです。
子供のころからバットを振り続けて、
世界一のバッターになられた方でも
10回のうちに4回も思ったところに打てないのです。
平凡なオジサン・オバサンが間違えることなんて、
当たり前も当たり前のことなんです。
なので、反省すべきは反省する方がいいに決まっているのですが、
どういうわけですか、まずはこういう方はいないのです。 ^^;
白でも黒、黒でも白ということをやるのです。
マルチ(まがい)商法にのぼせている人のような言い訳がましいことを
言い出す人が本当に多いのです。 ^^;
そんな下らないことで、沽券・世間体をたもとうとするよりもね・・・
間違いを認めると、とかく責任問題が云々ということになるので、
こういうことにもなるとは思うのですが、
まあ、しょうもないことでしたら、
この新渡戸稲造の教えるところに従うほうがいいように思いますね。 ^^
次回の記事も、この続きです。
宝石メモ・ブログ 関連キーワード【な行・新渡戸稲造】
宝石メモ・ブログ カテゴリ【世間話】(タイトル名も分かります)
宝石メモ・ブログ 関連キーワード
さて、今回の記事は前回の記事の続きです。
まだ、前回までの記事をご覧になられていらっしゃらない方は、
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なるほどこれは自分が悪かった、
と反省することは難しいことである。
ことに外人と交際すると、
日本人にこの反省の習慣のはなはだ少ないことが思われる。
自分が悪かった場合にさえも、
「自分が悪かった、許してくれ」
とはめったに言わぬ。
必ず何かと小理屈をつけて、弁解する悪癖がある。
欧米人・・・聖人君子ならずとも、
紳士とも称せらるる資格を有する者・・・
はご免下さいとか、失礼とかいうことを、
心の真底から潔く言うことが稀ではない。
もとより日本人とてもこれらの言を口にするが、
それは多く無意味に出る言葉で、
己が悪かったということが、
心の奥底から湧き出ることははなはだ少ない。
懺悔すなわち反省の結果、
自分の過ちを自白することは、
非常に自分の心を潤し、また相手の心を和らげるものである。
しかるに、日本にはこの習慣がはなはだ少ない。
ある中等程度の学校に従事していた熱心な教育家が、
その生徒と交わり、
自白状を書かせたことがある。
書かさせられた生徒はそのために著しくこの心地を変じ、
晴天白日のごときものになったということである。
懺悔はかくのごとき大なる力を有する。
されば、天主教には「コンフェッション」という式があって、
犯した罪があれば、一週間に1日ぐらい、
これを僧侶に白状させておる。
僕は世人に向かい、
そのままにこれを遵奉したらよかろうとは言わぬ。
また、僧侶に懺悔する必要があるか否かも疑われるが、
しかし、自己の欠点を認め、己が悪かったという考えを起こし、
これを相手に発表することは善事であると思う。
こう書いてあります。
こう新渡戸稲造が書いているのですが、
今現在の日本人でも同じことが言えますよね。
以前の記事にも何度か書いた記憶があるのですが、
徒なまでに、無謬性を保ちたがる傾向がどこにでもあると思いますね。
企業でも、役所でも、普通の人間関係でも・・・
以前にもこの例で説明しましたが、
イチローでも10回のうちに4回も
自分の思ったところに打ち返せないのです。
子供のころからバットを振り続けて、
世界一のバッターになられた方でも
10回のうちに4回も思ったところに打てないのです。
平凡なオジサン・オバサンが間違えることなんて、
当たり前も当たり前のことなんです。
なので、反省すべきは反省する方がいいに決まっているのですが、
どういうわけですか、まずはこういう方はいないのです。 ^^;
白でも黒、黒でも白ということをやるのです。
マルチ(まがい)商法にのぼせている人のような言い訳がましいことを
言い出す人が本当に多いのです。 ^^;
そんな下らないことで、沽券・世間体をたもとうとするよりもね・・・
間違いを認めると、とかく責任問題が云々ということになるので、
こういうことにもなるとは思うのですが、
まあ、しょうもないことでしたら、
この新渡戸稲造の教えるところに従うほうがいいように思いますね。 ^^
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