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今回の記事から数寄(すき)について書きます。

これは何回かに分けて記事を書きます。



広辞苑には

【数奇・数寄】 すき

(「好(すき)」の当て字)

風流の道、特に茶の湯などを好むこと。


こう書かれあります。



鴨長明の「発心集」というのをご存知でしたか?

これも広辞苑から引用させて頂きますと、


【発心集】 ほっしんしゅう


鎌倉初期の仏教説話集。

鴨長明の著で1216年(建保4)以前成立か。

8巻本と5巻本とがある。

発心説話を中心にする。


こう書かれてありました。



この「発心集」のなかに、

この数寄のことが書かれてあるところがあるのです。


これが面白かったので引用させて頂きましょうね。





永秀法師数寄の事  (巻六の七)



八幡別当頼清が縁類にて、

永秀法師といふものありけり。

家貧しくて、心好けりけるが、

夜昼、笛を吹くよりほかのことなし。

かしがましさに堪へず、

となり家、やうやう立ち去りて、

後には人もなくなりにけれど、更にいたまず。

さこそ貧しけれど、落ちぶれたる振舞などはせざりければ、

さすがに人卑しむべきことなし。


頼清聞き哀れみて、使やりて、

「などかは何ごとも宣はせぬ。

かやうに侍れば、さらぬ人だに、

ことに触れて、さのみこそ申し承ることにて侍れ。

疎く思すべからず。

便りあらんことは、憚らず宣はせよ」

と言はせたりければ、

「返す返す畏まり侍り。

年ごろも申さばやと思ひながら、

身の怪しさに、且は恐れ、且は憚りて、罷り過ぎ侍るなり。

深く望み申すべきこと侍り。

速やかに参りて、申し侍るべし」と言ふ。



何事にか、よしなき情をかけて、

うるさきことや言ひ掛けられんと思へど、

かの身の程には、いかばかりのことかあらんと思ひ侮りて過す程に、

あるかた夕暮に出て来たれり。

則ち出て合ひて、

「何ごとに」

など言ふ。

「浅からぬ所望侍るを、思ひ給へて罷り過ぎ侍りし程に、

一日の仰せを悦びて、左右なく参りて侍る」と言ふ。

疑ひなく、所知などを望むべきなめり、と思ひて、これを尋ぬれば、

「筑紫に御領多く侍れば、寒竹の笛の、

ことよろしく侍らん、一つ召して賜はらん。

これ、身にとりて極まれる望みにて侍れど、

怪しの身には得がたきものにて、

年ごろえ設け侍らず」と言ふ。


思ひのほか、いと哀れに覚えて、

「いといと安きことにこそ。

速やかに尋ねて、奉るべし。

そのほか、御用ならんことは侍らずや。

月日を送り給ふらんことも、

心にくからずこそ侍るに、

さやうのことも、などかは承らざらん」

と言へば、

「御志は畏まり侍り。

されど、それはこと欠け侍らず。

二三月に、かく帷一つ設けつれば、

十月までは、更に望むところなし。

又朝夕にことは、自らあるに任せつつ、

とてもかくて過ぎ侍る」

と言ふ。


げに、数寄ものにこそと、

哀れにありがたく覚えて、

笛、急ぎ尋ねつつ送りけり。

又さこそ言へど、月毎の用意など、

まめやかなることども、憐み沙汰しければ、

それがある限りは、八幡の楽人呼び集めて、

これに酒設けて、日暮し楽をす。

失すれば、又、ただ一人笛吹きて、明かし暮しける。

後には笛の功積りて、並びなき上手に成りけり。


かやうならん心は、何に付けてかは深き罪も侍らん。





現代語訳


永秀法師数寄の事 (巻六の七)



石清水八幡宮の別当頼清の遠い親戚にあたる、

永秀法師というものがいた。

家は貧しかったが、風流を好んで、

夜となく昼となく笛を吹くよりほかのことはなかった。

その笛のやかましさに堪えられなくなって、

近隣の家がだんだん立ち去ってしまって、

ついには、周りに人も居なくなってしまったのであるが、

ぜんぜん気にもかけなかった。

たいへん貧しいとはいっても、

落ちぶれたもののするような卑しい振るまいなどはしなかったので、

さすがに人が軽蔑することはなかった。



頼清は、この永秀法師の生活状態を聞いて同情し、

使いをやって、

「どうして、何も相談してくださらないのですか。

私がこうして、八幡の別当をしているので、

特に関係のない人からでさえ、

何かにつけて依頼を受けることが多くございますのに。

私のことを疎遠にお思いくださいますな。

できることはいたしますから、遠慮なくおっしゃってください」

と言わせたところ、永秀は、

「返す返す、恐縮に存じます。

平素からお願い申し上げたいと思いながら、

我が身のいやしさが気になって、

あるいは恐縮し、あるいは遠慮をして、

今日まで過ごしてまいりました。

実は、心からお願い申し上げたいことがございます。

早速参上して、申し上げましょう」と言ふ。



頼清は、何ごとであろうか、つまらない同情をして、

面倒な要求でも言い掛けられるのではないか、と思ったけれども、

永秀の身分を考えれば、

どれほどのこともないであろうと高をくくって日を過ごすうちに、

ある日の夕暮れがせまった頃に、永秀がやって来た。

そこで対面して、

「どのようなご希望がおありなのですか」などと聞く。

「前々から深い望みがありましたのを、

ただ心のうちで考え続けて過ごしておりましたところ、

先日のお言葉を頂いて喜んで、

取るものも取り敢えずやって参りました」

と言う。

頼清は、これは間違いなく領地などを望むであろうと思って、尋ねると、

「筑紫にあなたの領地が多くございますから、

そちらに生えている寒竹の笛の特に良質なものを

一つお取り寄せになっていただきたいと存じます。

これが、私にとってこの上ない望みでございますが、

いやしい身には得がたいものでございまして、

数年来、手に入れることができませんでした」

と言う。



思いのほかの要求であったので、

頼清はたいへん心をうたれて、

「それはそれはたやすいことですよ。

すぐに探し求めて、差し上げましょう。

そのほかに、ご用はございませんか。

日常生活をお送りになる上のことも、

あまり安定していらっしゃらないご様子ですが、

その方面のことも、どうしてお引き受けしないことがありましょう」

と言うと、

「お気持ちはありがたく存じます。

しかし、その面では何も不自由はしておりません。

二月か三月に、このようなひとえの着物を一枚手に入れましたので、

十月までは、まったくほしいものはありません。

また、朝夕の食べ物のことは、その時々のあるものによって、

どうにかこうにか日を送っております」

と言う。



頼清は、なるほど、まことの風流人であることよと、

しみじみ稀有に感じて、竹の笛を急ぎ求めて送ったものだ。

また、永秀はあのように言ったけれど

(困窮しているに違いないと思って)生活に必要な経費や実用品などを送ったのだが、

永秀はそれがある間は、

八幡宮の楽人たちを呼び集め、その人々に酒をすすめて、

一日中合奏をして暮らす。

そして、ものがなくなると、また、ただ一人で笛を吹いて、

明かし暮らしたのである。

後には笛ばかり吹いていた功績が実って、

二人とない笛の名手となった。



このような世俗の執着を離れた風雅の心は、

いったい何に関して深い罪となることがあろうか。

罪になる要素はまったくないはずである。





こう書かれてありました。


なかなか面白いお話だったでしょう? ^^


次回の記事も、この数寄のことを書く予定です。


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