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リンク・フリーです。


さて、今回の記事も

毀誉褒貶に対する修養について書きます。


これで3回目の記事となります。



他人から、名誉を損ねられることは、

程度の違いはあれ、誰しもこのことは経験されることですよね。


なので、この新渡戸稲造の言い分に賛否はあることでしょうが、

まあ知っておいて損のないことのようにも思いますね。 ^^






三、悪口を反省の材料とする善用法



しかし、単にかく消極的に思うのみでは、いまだ物足らぬ。

願わくは、さらに一歩を進めたい。


進むるとは、すなわち名誉を毀損された時、

単に従来の程度にとどむるのでなく、

これ不愉快の経験を踏み台として、

もいっそう高く上る積極的の方法が欲しくなる。


それには、第三の考え方が起こって来る。


第三の方法は、

人の非難悪口をもって、自己反省の材料に供するのである。



これは何人も普通に承知しておることで、

例えば、

「かかることは事実無根の風説に過ぎざるも、

 かかる説を出ださしめたのは、自分の不徳の致さしめるところ」

というようなことは、常に聞くところである。


その意味は非難された点は事実に違うているが、

すでにかかる誤解を受けたのは、

自分の徳が薄いからであると、その不徳を反省するのである。



しかし、その人は果して文字通りに、

心の真底からそう思うておるかと見るに、

はなはだ立ち入ったことであるが、

実は自分の不徳なることを、衷心より感ずる人は少数であろう。


むしろ、非難した人を非難し返し、

「けしからぬ奴」と思う者が多い。


古歌に、


憎むとも憎み返すな憎まれて

憎み憎まれはてしなければ


と教えてあるが、とかく人は非難を受けると、

反省ということに進まずして、かえって相手を自分の敵として憎む。


憎むからまた憎み返される、また、これを憎み返す。

互いに憎み合うて果てしがなく、

結局は限りなく悪感情を養成するに過ぎぬ。


右は根拠なき悪口を受けた時の、心得を述べたのであるが、

いかなる悪口でも、己の真に知らぬことであれば、

心の底においてさほど怨みの念も起こらぬ。


侮りを受けてもさほど色が動かぬ。


「恥と頭はかき次第」で、恥によってはさらに恥として、

心を痛める力のないものがある。


かくのごとき場合には、世間の誤聞や風説は、

一種の滑稽的性質を帯びて、愛嬌になることもあるが、

しかし、いやしくも心に覚えある事実のため、汚名を受くる時は、

これをもって反省を促すの用に供したい。





まだ、続きがあるのですが、

話が長くなりすぎそうなので、

続きは次回の記事に譲ることと致します。





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